日本の子どもは学習意欲が低いと言われて久しいです。私自身、子どもたちと接していてそう感じることはしょっちゅうです。好き嫌いというのはあるでしょうが、それ以前に必要性がわかっていない、感じていないというのが根本的な気がします。実際問題として、中学生までの学習内容は好き嫌いでどうこうではなく、必要なものとしてある程度身につけておかなくてはいけません。
昔と違って様々な文化や生き方に触れたり、挑戦できる機会が増えた昨今、学校の勉強の大切さがますます大きくなっていると同時に、それをしていなければ生きていけないということも、それをしていれば大丈夫とも言えなくなっています。勉強して「良い」学校を出て良い就職口を見つけて、という道筋以外にも、自分のできること、したいことを突き詰めて、それを世に示すことで多くの人に認めてもらえる、その間口は確実に広くなっています。
学校で学んだことが世の中で活躍するのに必要ない、そういう雰囲気が社会にも大人にもあって、それが子どもに伝わっているのかなという気がします。(ただ、それを体の良い口実にして目の前のめんどうなことから逃げようとしているだけにも見えますが。また、世に認められている人ほど結局教育や学びの大切さを理解しているものです)
世の中が今のままの自分でも十分に便利で快適で、楽しいものが容易に手に入るよういなったからというのもあるかもしれません。余分な努力をしなくても、子どもたちは現状に満足している、だから勉強という大変な思いをわざわざしたくないのでしょう。
確かに学校の中で学ぶ枠組みにとらわれることはかえって自分たちの可能性を狭めるかもしれませんし、自分の現状に満足するというのは幸せになるための一番の秘訣かもしれません。なので私自身、テストの順位を少しでも上げるためにがんばれ!とか、今の自分に満足するな!とか、そういうことを強く言えません。それ以外にも幸せになる方法があるかもしれませんから。
ただ、思考停止したり、想像したりすることを止めないで欲しいとは思います。周りの人々について、社会について、過去について未来について、なぜそうなっているのだろう、なぜこう考えるのだろうということは常に想像していてほしいし、想像できる力を養う努力は放棄しないで欲しいなと。
自分の言動が、それを見聞きした誰かがどう感じるか、今の社会・世界の中で、自分はどういう立ち位置にいるか、他にどんな立ち位置の人がいるか、会ったことのない人も含めた他者と自分がどう繋がっているか、今の現状は過去の何が原因でどんな未来に繋がっているだろうとか、そういう諸々を考えられる力を身につけた上で自分や自分の周りの人の幸福を求められる人に、子どもたちにはなってほしいなと、そんな風に思います。
想像力の欠如は他者や社会、それらの未来とそして自分自身の不幸の原因になりえます。
学校教育は、その中で覚えたり身につけたりする種々の事項や数式それ自身にも価値はありますが、そうした想像力を養うという意味にこそ、一番の意味と価値があるのではないかと思います。